Aさん
長く引きこもっている人も、希望を失くさないでほしい。
学生時代のいじめがきっかけで、進路を見いだせないまま高校を卒業した、現在22歳のAさん。
「毎日何をするでもなく、家の中で過ごしていました。外出したりして同級生と会うのがイヤだったから」。
『Mind Factory』を知るきっかけは、3歳年下の弟さんでした。
「高校の先生が弟の卒業後の進路にと紹介して下さり、活動内容などを聞いているうちに、自分も行ってみたいと思いました」。
対人関係に問題を抱えたAさんだったので、当初は通所しても弟さんと2人で過ごすことが多く、笑顔のない日が続きました。
チラシのポスティングや内職などの作業を通して、少しずつ利用者のみなさんと話せるようになったAさん。同年代の仲間もでき、「わからないことを聞くと親切に教えてもらえて、不安や緊張が和らいでいきました。ポスティングで歩き続けるのも最初はしんどくて、そのことを言えずに悩んでいたら、ちゃんと支援員さんに相談した方がいいよって。いろんな人たちが気遣ってくれました」。
作業以外にも、働くことの意味や生きていくために必要なお金のこと、日常生活でのコミュニケーションをグループワークで繰り返し学ぶことで、本来の積極性が垣間見られるようになりました。
また、市内のお菓子屋さんでの就労体験にもチャレンジ中で、決められた量の砂糖を袋詰めしたり、道具の洗浄、異物混入のチェックなど、製造の一端に関われていることに、Aさんは喜びとやりがいを感じています。
経験を積みながら少しずつ前向きになれている今日ですが、精神面から体調を崩したり、マイナス思考になりがちな面も多々あり、まだまだトレーニングの途中。Aさんも課題と向き合う中で、就労体験の日数を増やしたり、体力アップのために外作業にも参加したりして、今できることに精一杯取り組んでいます。長いひきこもりから脱し、ようやく小さな光を見いだしたAさんはこう言います。
「長くひきこもっている人も、希望を失くさないでほしい。Mind Factoryに通うようになって、自分はいま人生の中で一番濃い時間を過ごしています。現状に苦しんでいたら、『Mind Factory』という選択肢があります。ここに来てみませんか」。
Bさん
自ら考えて行動できるようになりました。
「父親との関係に長いこと悩んできました。自分のやることなすことすべてにダメだしをされていて、何をやっても怒られるのなら、もう何もしないでいようと、高校卒業後はずっと家の中でぶらぶらしていました」。
父親と別居後、現在は母と2人暮らしの30代のBさん。母親が市の女性相談室へ面談に行かれた際に、当事業所のことを紹介され、親子で見学に来られたのがきっかけでした。
「このままの生活ではダメだと思っていたけれど、何から始めればいいのかわからなかったし、知らない人と話をするのも苦手でした。通い始めて1年半ほどになりますが、家庭の用事で休んだ以外は、病気で休んだことも遅刻したこともないです」。
以前のBさんはほとんど人と会話することがなく、話しかけても頷くことが精一杯といったとても内向的な人でした。それゆえBさんがどんなことに興味があるのか、チャレンジしてみたいことがあるのか、支援側も頭を悩ましていました。
そんな折、施設外就労の話が舞い込み、Bさんに打診してみると、「行ってみたいです」という予想外の返事が返ってきました。
小柄であまり体力のないBさんにとって、3時間立ちっぱなしの仕事はそれだけでもしんどく、「集中力がない!」と店のスタッフの方に注意を受けることもしばしば。
「このままではもたないかもしれない」と心配をしていましたが、厳しさの中にも働くことの楽しさを見いだしたBさん。夏場の蒸し風呂のような中での作業も一日も休まず、同じ失敗をしないための方法も自ら考えて行動できるようになりました。心身ともに強さが身につき、それが自信へと変わろうとしているーーー今まさにそんな過程です。
何事もすぐに結果を出すことはできません。行きつ戻りつしながら少しずつ社会性を育み、できなかった時はなぜそうなったのかを本人と支援員が一緒に考えます。大きな飛躍ではなく、できることを増やし、達成感を積み重ねていく。Bさんの挑戦は始まったばかりです。
Cさん
フルタイムで働ける日を夢見て頑張っています。
若い頃から過酷な労働の現場を渡り歩いてきたCさんは43歳。体力に自信があり、現在は施設外就労先のチップ工場(木材を破砕して木材チップを生産)で週2〜3日働いています。
通所2年目ですが、当時のCさんは突発的な言動が多く、いつもトラブルの絶えない人でした。そのため事業所内においても孤独で、支援側もどう関わっていけばいいか思案する日々が続きました。
「あの頃は幻聴が聞こえていたので、人を信用することかできなくて。思い込みも強かったので、まともな判断ができていなかったと思います。今だから正直に言えますが、Mind Factoryのみなさんのことも当時は信頼していませんでした」。
入院して治療に専念した甲斐があり、退院後は幻聴もなくなり、睡眠もよくとれるようになったと言います。
「よく周りの人たちに、丸くなったねぇ〜変わったねぇ〜と言われるんですが、昔の自分がどうだったかよく覚えていなくて。退院後、こんな自分をみなさんが温かい笑顔で迎えて下さったことがありがたくて、本当に嬉しかったです」。
現在は定期的に通院と服薬を続けながら、毎日休むことなく元気に通所しているCさん。アパートでの一人暮らしも倹約しながら、「時々はチャーハンやカレー、味噌汁を自分で作ったりしています」と、食生活や生活習慣にも心がけていることを語ってくれました。
Cさんの夢は、「一般就労をして自立すること」。さまざまな経験を通して自分の特性を見極め、フルタイムで働ける日を夢見て頑張っています。
「これまで親きょうだいにもたくさんの迷惑をかけてきた分、これからの人生は自立して生きていくことが、今の自分にできる親孝行だろうと思っています。そういう生き方のできる自分に変えてくれたのが、わたしにとってはMind Factoryです」。
長いこと一匹狼で生きてきたけれど、人はひとりでは生きていけないことを身をもって味わったCさん。今では彼のおだやかな笑顔に人が集まり、みんなから愛され、頼りにされる存在です。
Cさんが一般就労できるその日を、ともに喜びあうことが待ち遠しい今日この頃です。
Dさん
一日も早くこの生活から抜け出したい、その一心でした。
市内の福祉施設で働く50代のDさんは入社2年目。異業種からの転職でした。Dさんがここに至るまでには離婚や介護といった大きな出来事があり、さらに7年前には母親を一人で看取ることになりました。
「30代後半頃は仕事も家庭も順風満帆で、これから先もずっとそんな人生だろうと思っていました。それがちょうど母が要介護となったあたりから、流れが大きく変わり始めて……。身内の協力もあり仕事をやめて介護に専念したのですが、やがて貯金は底をつき……。母の他界後すぐに職探しをしたのですが、なかなか就職が決まらず、焦りと不安の毎日でした」。
坂道を転がるように生活が困窮し、精神的にも経済的にもどん底を味わったと、当時の胸の内を明かしてくれたDさん。
その後、行政のサポートを受けられるようになったおかげで、当面の生活の見通しはできたものの、今度は「世間に対しての後ろめたさに苦しむことになった」といいます。
「1日も早くこの生活から抜け出したい、その一心でした」。
縁あって某事業所の職員となったDさん。過去の自分を脱却し、克服していくために、昨年は猛勉強をして産業カウンセラーの資格も取得したそうです。
「人生のどん底に行きついた時、その時に関わってくれた人によって、その後の人生は大きく変わります。自分がそうであったように、墜ちていくか向上していくかは紙一重。人生を再スタートしたいと思えるスイッチを見つけてもらえるよう、みなさんのお役に立てる人間になりたいと思います」。
「助けて」と声を上げる勇気と、「変わりたい」と思う希望をもつ。そして、人とつながることで開ける未来があることを、Dさんの生き方に学びます。
Aさん
長く引きこもっている人も、希望を失くさないでほしい。
学生時代のいじめがきっかけで、進路を見いだせないまま高校を卒業した、現在22歳のAさん。
「毎日何をするでもなく、家の中で過ごしていました。外出したりして同級生と会うのがイヤだったから」。
『Mind Factory』を知るきっかけは、3歳年下の弟さんでした。
「高校の先生が弟の卒業後の進路にと紹介して下さり、活動内容などを聞いているうちに、自分も行ってみたいと思いました」。
対人関係に問題を抱えたAさんだったので、当初は通所しても弟さんと2人で過ごすことが多く、笑顔のない日が続きました。
チラシのポスティングや内職などの作業を通して、少しずつ利用者のみなさんと話せるようになったAさん。同年代の仲間もでき、「わからないことを聞くと親切に教えてもらえて、不安や緊張が和らいでいきました。ポスティングで歩き続けるのも最初はしんどくて、そのことを言えずに悩んでいたら、ちゃんと支援員さんに相談した方がいいよって。いろんな人たちが気遣ってくれました」。
作業以外にも、働くことの意味や生きていくために必要なお金のこと、日常生活でのコミュニケーションをグループワークで繰り返し学ぶことで、本来の積極性が垣間見られるようになりました。
また、市内のお菓子屋さんでの就労体験にもチャレンジ中で、決められた量の砂糖を袋詰めしたり、道具の洗浄、異物混入のチェックなど、製造の一端に関われていることに、Aさんは喜びとやりがいを感じています。
経験を積みながら少しずつ前向きになれている今日ですが、精神面から体調を崩したり、マイナス思考になりがちな面も多々あり、まだまだトレーニングの途中。Aさんも課題と向き合う中で、就労体験の日数を増やしたり、体力アップのために外作業にも参加したりして、今できることに精一杯取り組んでいます。長いひきこもりから脱し、ようやく小さな光を見いだしたAさんはこう言います。
「長くひきこもっている人も、希望を失くさないでほしい。Mind Factoryに通うようになって、自分はいま人生の中で一番濃い時間を過ごしています。現状に苦しんでいたら、『Mind Factory』という選択肢があります。ここに来てみませんか」。
Bさん
自ら考えて行動できるようになりました。
「父親との関係に長いこと悩んできました。自分のやることなすことすべてにダメだしをされていて、何をやっても怒られるのなら、もう何もしないでいようと、高校卒業後はずっと家の中でぶらぶらしていました」。
父親と別居後、現在は母と2人暮らしの30代のBさん。母親が市の女性相談室へ面談に行かれた際に、当事業所のことを紹介され、親子で見学に来られたのがきっかけでした。
「このままの生活ではダメだと思っていたけれど、何から始めればいいのかわからなかったし、知らない人と話をするのも苦手でした。通い始めて1年半ほどになりますが、家庭の用事で休んだ以外は、病気で休んだことも遅刻したこともないです」。
以前のBさんはほとんど人と会話することがなく、話しかけても頷くことが精一杯といったとても内向的な人でした。それゆえBさんがどんなことに興味があるのか、チャレンジしてみたいことがあるのか、支援側も頭を悩ましていました。
そんな折、施設外就労の話が舞い込み、Bさんに打診してみると、「行ってみたいです」という予想外の返事が返ってきました。
小柄であまり体力のないBさんにとって、3時間立ちっぱなしの仕事はそれだけでもしんどく、「集中力がない!」と店のスタッフの方に注意を受けることもしばしば。
「このままではもたないかもしれない」と心配をしていましたが、厳しさの中にも働くことの楽しさを見いだしたBさん。夏場の蒸し風呂のような中での作業も一日も休まず、同じ失敗をしないための方法も自ら考えて行動できるようになりました。心身ともに強さが身につき、それが自信へと変わろうとしているーーー今まさにそんな過程です。
何事もすぐに結果を出すことはできません。行きつ戻りつしながら少しずつ社会性を育み、できなかった時はなぜそうなったのかを本人と支援員が一緒に考えます。大きな飛躍ではなく、できることを増やし、達成感を積み重ねていく。Bさんの挑戦は始まったばかりです。
Cさん
フルタイムで働ける日を夢見て頑張っています。
若い頃から過酷な労働の現場を渡り歩いてきたCさんは43歳。体力に自信があり、現在は施設外就労先のチップ工場(木材を破砕して木材チップを生産)で週2〜3日働いています。
通所2年目ですが、当時のCさんは突発的な言動が多く、いつもトラブルの絶えない人でした。そのため事業所内においても孤独で、支援側もどう関わっていけばいいか思案する日々が続きました。
「あの頃は幻聴が聞こえていたので、人を信用することかできなくて。思い込みも強かったので、まともな判断ができていなかったと思います。今だから正直に言えますが、Mind Factoryのみなさんのことも当時は信頼していませんでした」。
入院して治療に専念した甲斐があり、退院後は幻聴もなくなり、睡眠もよくとれるようになったと言います。
「よく周りの人たちに、丸くなったねぇ〜変わったねぇ〜と言われるんですが、昔の自分がどうだったかよく覚えていなくて。退院後、こんな自分をみなさんが温かい笑顔で迎えて下さったことがありがたくて、本当に嬉しかったです」。
現在は定期的に通院と服薬を続けながら、毎日休むことなく元気に通所しているCさん。アパートでの一人暮らしも倹約しながら、「時々はチャーハンやカレー、味噌汁を自分で作ったりしています」と、食生活や生活習慣にも心がけていることを語ってくれました。
Cさんの夢は、「一般就労をして自立すること」。さまざまな経験を通して自分の特性を見極め、フルタイムで働ける日を夢見て頑張っています。
「これまで親きょうだいにもたくさんの迷惑をかけてきた分、これからの人生は自立して生きていくことが、今の自分にできる親孝行だろうと思っています。そういう生き方のできる自分に変えてくれたのが、わたしにとってはMind Factoryです」。
長いこと一匹狼で生きてきたけれど、人はひとりでは生きていけないことを身をもって味わったCさん。今では彼のおだやかな笑顔に人が集まり、みんなから愛され、頼りにされる存在です。
Cさんが一般就労できるその日を、ともに喜びあうことが待ち遠しい今日この頃です。
Dさん
一日も早くこの生活から抜け出したい、その一心でした。
市内の福祉施設で働く50代のDさんは入社2年目。異業種からの転職でした。Dさんがここに至るまでには離婚や介護といった大きな出来事があり、さらに7年前には母親を一人で看取ることになりました。
「30代後半頃は仕事も家庭も順風満帆で、これから先もずっとそんな人生だろうと思っていました。それがちょうど母が要介護となったあたりから、流れが大きく変わり始めて……。身内の協力もあり仕事をやめて介護に専念したのですが、やがて貯金は底をつき……。母の他界後すぐに職探しをしたのですが、なかなか就職が決まらず、焦りと不安の毎日でした」。
坂道を転がるように生活が困窮し、精神的にも経済的にもどん底を味わったと、当時の胸の内を明かしてくれたDさん。
その後、行政のサポートを受けられるようになったおかげで、当面の生活の見通しはできたものの、今度は「世間に対しての後ろめたさに苦しむことになった」といいます。
「1日も早くこの生活から抜け出したい、その一心でした」。
縁あって某事業所の職員となったDさん。過去の自分を脱却し、克服していくために、昨年は猛勉強をして産業カウンセラーの資格も取得したそうです。
「人生のどん底に行きついた時、その時に関わってくれた人によって、その後の人生は大きく変わります。自分がそうであったように、墜ちていくか向上していくかは紙一重。人生を再スタートしたいと思えるスイッチを見つけてもらえるよう、みなさんのお役に立てる人間になりたいと思います」。
「助けて」と声を上げる勇気と、「変わりたい」と思う希望をもつ。そして、人とつながることで開ける未来があることを、Dさんの生き方に学びます。